[孤島]
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外来種と在来種
いま北海道の湖水でウチダザリガニという外来種が、古くからいるニホンザリガニや魚などに影響を及ぼしてるらしい。それでいくつかの湖で調査や駆除が始められているそうだ。
この前テレビのローカルニュースで、洞爺湖のウチダザリガニ駆除の模様を放映してたが、そこになぜか子ども(小学生)を呼んでザリガニを食べる、というか、食べされられるというものだった。網カゴで捕獲したザリガニを茹でて食べる、まるでザリガニ試食会イベント。
(然別湖でも同じような小学生向けウチダザリガニ試食ツアーが行われた。これは旅行代理店が企画したもの。)
確かにウチダザリガニというのは、戦前に摩周湖に食用として導入されたものなので、おいしいかもしれない。
最初、子どものなかには嫌だといってた子もいたが、おおむね大人の勧めに応じて食べた子が多かった。
でも、なんで小学生に?


いま外来種は目の敵(かたき)にされていて、外来種が「悪」で在来種が「善」なので外来種を排除しよう、というキャンペーンが繰り広げられている。
たとえばブラックバスは、外来種排斥の格好の標的になっている。でもほんとうにブラックバスは科学的・生態学的に有害なのかは、いまだに議論が続いてる。漁業権を持つ関係者の補償費を求めた動きもあるらしく、科学的な問題ではなく政治的な問題にもなっている。

ウチダザリガニも洞爺湖では外来種の悪いザリガニということになってるが、それが摩周湖の隣の阿寒湖ではウチダザリガを捕獲して「レイク・ロブスター」というネーミングで販売してる。
外来種は悪玉として殺されるか、食用として殺されて人間の胃袋に入るか、まさに人間のご都合主義だ。

このへんの問題は科学的・生態学的な点からだけでなく、生命という視点からも捉えなければならないと思う。生き物たちが生命のある存在であるとする生命倫理。外来種は人間が「拉致」して持ち込んだものであり、そして環境条件に適応してサバイバルしてきたもので、特定のある「種」を人間の手で根絶やしにしていいのかという問題。

このへんはすごくデリケートな問題で、少なくとも子どもに「外来種は悪だから殺して食べていい」という考えをプッシュするのは、ぜひ止めてもらいたいと思うわけです。洗脳でなく、いろいろな考え方があるということを、そして生命となにかということを考えるきっかけになればいい。


     *


外来種(ユダヤ-イスラエル人)が在来種(アラブ-パレスチナ人)を食い殺す(笑)
…おっと、笑っちゃいけない。

ゴヤの「我が子を食らうサトュルヌス(英語ではサターン)」をもじった英国の新聞インデペンドの風刺画(2003)
シャロンがパレスチナの子どもを喰い殺してる
シャロンがパレスチナの子どもを食べてる


生命倫理もなにもあったもんじゃない。アパルトヘイトの壁、パレスチナやレバノンの民間人へのジェノサイド。

E.モラン、S.ナイル、D.サルナヴ「イスラエル-パレスチナ問題という癌」
http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20060318
そしてここでわれわれは信じがたい逆説を前にする。ゲットーというアパルトヘイトの犠牲者の子孫であるイスラエルのユダヤ人がパレスチナ人をゲットーに押し込めている。辱めを受け、蔑まれ、迫害されたユダヤ人たちが、パレスチナ人を辱め、蔑み、迫害している。残酷極まりない体制の犠牲になったユダヤ人たちがパレスチナ人たちに残酷極まりない自分たちの体制をパレスチナ人に押し付けている。非人間性の犠牲となったユダヤ人たちが非人間性を示している。あらゆる悪のスケープゴートとなったユダヤ人たちが、アラファトとパレチナ自治政府をスケープゴートとし、テロの防止を防止しなかったとし、その責任者とされている。


イスラエルのアラブ人排斥傾向
http://palestine-heiwa.org/news/200605130952.htm

人間の戦場 ダビデの歪んだ星 ― イスラエルVSパレスチナ ―
http://www.bs-i.co.jp/main/documentary/show.php?0039

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『ホワイト・オランダー』
監督:ピーター・コズミンスキー/原作:ジャネット・フィッチ/出演:アリソン・ローマン、ミシル・ファイファー、レニー・ゼルウィガー、ロビン・ライト・ペン
ストーリーは下記URLを参照してください。ここでは主に感想だけ。
http://www.gaga.ne.jp/white-oleander/introduction/
http://www.gaga.ne.jp/white-oleander/story/

タイトルのホワイト・オランダーは白い夾竹桃のことで、毒性をもつという。このことはネットをいろいろと見てて分かったのだけど、夾竹桃が毒を持つという話は映画の中で出てきたかな?(見落とし?)
ということでこの映画は、母親から毒を盛られた娘が、なんとか解毒して、ついに復讐を遂げるという物語……ではありません。でももしかしたら、そのような話かもしれません。(どっちなんだ?)

母親のイングリッドはアートの作家で、つねにパーフェクト(完璧)を追求してる。同様に娘のアストリッドにたいしても、やはりパーフェクトであることを求めている。イングリッドにとってこのパーフェクトというのは、無類の強さやコンピティティブ(競争力)や自立や優越性といったものの体現した言葉なのだろう。
イングリッドが殺人で刑務所に入ってからも、ますますこのことはプッシュされる。
たとえばアストリッドのボーイフレンド(ポール)の描いたコミックを、こんなの芸術じゃないとこき下ろす。
あるいは、人やコミュニティや信仰などに依存する生き方が大嫌い。なので、スターのところで受けた洗礼なんてもってのほか。クレアのような自立できない依存的な者も嫌いで、娘がそんなところにいてはマズいと、何事かマニピュレート(manipulate)をやる。

これほど極端な母親は、たぶんあまり多くないような気がする。(*) それは、これほどに独善的な母親はそういないということで、概して親(とくに母親)は子どもに対して「干渉」を行い、ときには「操作」や「マニピュレート」といったことをやる。
子どもが危険なことに巻き込まれるのは避けなければならないが、例えば誰それさんと遊んだらダメで、あの子と遊ぶのはOKとか、そういうのは干渉というより操作だ。親の言うことは、たとえそれが親のエゴだろうが、良かれと思ってやったことだろうが、子どもには絶対的な影響を与える。(**)

イングリッドが直接アストリッドに言うのではなく、クレアに伝えた言葉こそマニピュレートだ。それはクレアの自殺にもつながり、怒ったアストリッドはもう母親の面会には来ないという。
イングリッドはアストリッドが自立することを主張していても、刑務所にいても娘を自分のコントロール下におこうとしてた。子どもにとって自立できるというのは、(母)親から自立できるということだから、それは矛盾だ。そしてストリッドは賢いので、母親から離れた。

最初のシーンでのアストリッド(娘)のモノローグは、母親にたいする思いを述べたもので、それがラストシーンでどういうことなのか判った。
最後はアストリッドが(複数の)カバンに想い出の品々でアートをつくっているシーン。箱を使ったアートというのはよくあり、それはオープンなものだけど、カバンは開閉ができる。そしてカバンを次々と閉じていったラストシーンは、母親との思い出を封印したものだったのではないだろうか。

 * 完璧を娘に強いる母親は、(とくに日本では)あまり多くないような気がする。最近TV番組で見た例としては、ピアニストのフジコ・ヘミングとスパルタ・レッスンをやった母親との関係かな。あれも成功したから良かったけど、そうでなかったら大変……。

** 一般に(男の子の場合)反抗期がくると、少しずつ親の操作の手から逃れる。いつまでも母親の操作の手から逃れられないのがマザコンになる、たぶん。
でも親から取り込んだ価値観は、しばらくは持続する。どこの家庭でも勉強しろというのは同じと思うけど、私の母親は、ちょっとエリート主義のにおいがしてた。それで私の場合も昔は、今とはぜんぜん違う、ゴリゴリの学歴主義者だったことがある。恥ずかしぃ~。
まあ そんなこともあったという昔話。
ハウルの動く城→ホワイト・オランダー
(昨日の続き)
そういうことで、昨日『ハウルの動く城』を借りてきて、そして感想でも書くつもりだったのだけど、昨夜なにげにNHK-BS2の映画を(どうせハリウッドのつまらん映画かと思いながら)見てたら、これが結構おもしろかったので、急遽予定変更。

『ホワイト・オランダー』は母親と娘との葛藤劇。
タイトルのホワイト・オランダーは白い夾竹桃のことで、それには毒があるという。

(1~2時間で書けなかった。メモだけ。また明日にでも)

・精神科医の斉藤学の『インナーマザー』という本は、「あなたを責め続ける心の中のお母さん」というサブタイトルが付けられていて、母親によって呪縛される娘の悲劇を解説してる。

・(私の経験として)母親は子どもに対して「操作する」ということをやる。
子どものとき、遅くとも小学校の6年のころには、たぶんそれに気がついた。
反抗期が進むと、男の子は、母親の「操作」の手から逃れる。
マザコンというのは、母親のその手から逃れなかった息子のことをいう、たぶん。

・ラストシーンはファーストシーン。
最初のシーンでのアストリッド(娘)のモノローグは、母親にたいする思いを述べたもので、それがラストシーンでどういうことなのか判るようになっていた。

・自閉と自由
ラストシーンは、アストリッドが(複数の)カバンにアートをつくっているシーン。そして閉じる次々と閉じられていく。
箱を使ったアートというのはよくあって、それはオープンなものだけど、カバンは開閉ができる。
カバンを次々と閉じていったシーンは、母親との思い出を封印したものだったのではないか。

パソコンが動かない→「ハウルの動く城」
ある日パソコンが動かなくなった。
画面でのメッセージ:「次のファイルが存在しないかまたは壊れているために、Windowsを起動できませんでした。・・・」

まだ復旧できなくて、別のノートPCにインターネットをつないで、こうして書き込みしてるわけです、ふにゃ~。
これについては後日、復旧(がうまくいなかった)レポートを書くかもしれない。

とにかくデータは大方残せそうなのがわかって、ちょっと安心した。
これは、KNOPPIX(クノーピクス)というLinux系のソフトのおかげ。KNOPPIXをCDをパソコンに入れて起動して立ち上げると、Windowsが動かなくなったパソコンでもWindowsのファイルを読み込むことができます。(*)
そしてファイルは、例えば外付けハードディスクなどに落としてバックアップすることができる。(**)
 * このKNOPPIXは、ノートPCからダウンロードしてCDに焼いてたものを使いました。(KNOPPIX 5.0) またKNOPPIXやLinux系の雑誌の付録CDにも付属してます。(現在KNOPPIX 4.0)
 ** KNOPPIXはべつにWindowsバックアップを目的に作られたものでなく、Linuxそのもののツールです。


KNOPPIXには MS-Wordの文書も読めるWriterというソフトも付属してるので、べつにWindowsが壊れていてもなんら問題はない……という訳にはいかないか。ブラウザやビジュアル系のソフトも付属してるけど、やっぱり使い慣れた環境でないと。

一家にクノーピクスCD一枚!


で さあ、こういうシステム廻りのトラブルは、前にも非常にしんどい思いをしたことがあるけど、もうウンザリだ。気が滅入る。鬱だ。
で、こういうときはビデオでも見るかぁ~! とビデオ屋に行って「ハウルの動く城」(なんと、まだ見てなかった)を借りようとしたら、そこのビデオ屋はいつの間にかツタヤに吸収されて、それでツタヤのカードはあったけど期限切れで新規に登録しなければならず、それで発行受付するところに行ったら待ってる人が多く、結局借りるのをやめて帰ることにしたのでした。あ~あ。

ところで、
■ 気が滅入るときに見る映画やビデオのチョイス!
これは、それぞれ人によると思うのだけど、しょうもない映画だと返ってますます気が滅入るというのは、たぶん共通してると思う。
それで私の場合ですが、ちょっと現実ばなれした、でもリアリティがあって、感動的で、途方もない、壮大な物語……。
ということで「ハウルの動く城」を選択しました。
明日借りる予定。さてさて気が晴れるかどうか。
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