[孤島]
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映画 『潜水服は蝶の夢を見る』
sennfuku 女性誌「エル」の編集長だったジャン=ドミニクは、脳梗塞で脳幹をやられて全身麻痺になってしまう。 閉じ込め症候群(locked-in syndrome)という、世にも恐ろしい病名。
外部の情報は取り入れることはできるけど、アウトプットがほとんどできない。
唯一残されたものが瞬きする左目で、会話者の読み上げるアルファベットを瞬きすることによって文字を確定し、意思や文章を表現する。

意識障害はないので、「自由な想像力と記憶で、どこへでもいける」。

映画の終わりに近く、回想なのか想像なのか、エッフェル塔などパリの風景のなかを車で疾走するシーンがあって、そこでBGMとしてかかってたのが「ラ・メール」と「大人は判ってくれない」のテーマ曲。 「ラ・メール」は映画のイントロでも使われていた。

この舞台になった病院は海岸近くにあり、テラスからは海が見える。実際、車椅子で浜辺にも行っていた。
それで映画ではこの「ラ・メール(海)」を採用したのかもしれないし、またフランス人にとってこのシャンソンはきっと国民的な思い出の曲なのだろう。

LA MER  ラ・メール (シャルル・トレネ CHARLES TRENET)



この映画でもいろんな曲が使われていて、YouTube などでどういうシーンでそれらが使われているのか分かるので、いろいろと勉強になる。
別に音楽監督になろういうというわけじゃないけど。

YouTube
『潜水服は蝶の夢を見る』 テーマ曲
トム・ウェイツ All The World Is Green
「大人は判ってくれない」テーマ曲
Don't kiss me goodbye (Ultra Orange & Emmanuelle)
バッハ ピアノ協奏曲第5番へ短調(Claudio Dauelsberg)


原風景というのがあるように、人には当たり前に原音楽というのもある。昔は地域の民族的な音楽しか選択できなかったけど、いまはメディアの発達でどんなジャンルの音楽でもアクセスすることができる。

で、この「ラ・メール」は、私にも懐かしい音楽だ。 どこで聴いたのか分からないけど、たぶんラジオから。 なんせ、昔の人ですから。w
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テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

三日月
陽が落ちるとまもなく、それを追いかけるように、赤くて薄い弧をもった三日月も西の暗闇に消えていった。
三日月の上方にあった星は金星かな。
生まれたばかりの月(三日月・若月)は、ここから新しい日が始まるということらしい。つまり、復活と再生。

おひさしぶりです。
全然更新していませんでした。もう見捨てられたのかもしれない。


書いていたシナリオが、予想を越えてかかってしまった。でも、やっとシナリオが完成した。
どう化けるのか、それともただの紙くずになるのか……。
ちなみに、タイトルは「タ_ブ_ラ・ラ_サ」です。

      *

うちの猫(ミミ)が死んでからもう四ヶ月になる。
いまでもときどき思い出すが、それは表情をもった追想になっている。
猫は、顔だけでなく体全体から発散される表情を送信し、それを人は受信する。
人間のいうところの言語を話さないだけで、表情を使ってコミュニケーションする。

餌を要求するときの、あの甘えた、でも切実な鳴き声。いかにも困っているということを必死に訴えてくるので、受信する方としては、なんとかしなければ、と思ってしまう。
寝ているとき撫でると、「ほっといてくれ!」とむくれる。(ときたま「気持ちいい」というときも。)

それから、ジャン・グルニエの受売りだけど、猫は静と動でも見せる。
猫は、寝てるときでも美しい。ときどきヘンな寝かたをすることもあるが、それもご愛嬌。
階段を勢いよく駆け上がるさまは、もう驚異だった。
それから、ひらりと膝に乗るときの、あのスローモーションのような動き。

でも、死んでしまった。
まるで眠っているようにバスケットに横たわる姿や佇まいから、なにを受信できたのか、そしてなにを思ったのか?
分からない。思考停止。
書くことと、思い出される記憶の落差。

死んだ経緯についていろいろと書いたけど、載せるのをやめることにした。月並みな言葉として「胸のうちに仕舞っとく」というのがあるけど、その常套句がぴったりかもしれない。

代わりに、ジャン・グルニエの著作のなかから、印象深い言葉を採り上げます。

ジャン・グルニエ『人間的なものについて』の「付『ルイ・フーシェとの対話』より」から:
フーシェ:…… 『孤島』のなかで、あなたが飼っていられた猫の思い出が記されたページ、あの悲歌、あの祈りにも似た哀歌、「猫のムールー」という名をもつ あの優しい祈りには、いまでも感心しています。あなたはムールーの生活、習性、活動、遊び、愛、子供時代そしてその悲しい最期を私たちに知らせてくれました。あなたのお蔭で、私たちはさらにムールーの思想のなかにまで入り込むことができます。
「きみ(ムールーのこと)は何もいわないけど、私はたしかにきみの声が聞こえていた。 『ぼくはこの花であり、この空であり、この椅子なのだ。ぼくはこの廃墟、この風、このぬくもりであった。きみは変身したぼくの姿がわからないのかい? きみは自分が人間であると思っているので、ぼくのことを猫だと思っているのだ。』」  (「猫のムールー」)
今はもう何年もたっていますし、 こんなことを伺っても失礼なることもないと思いますが、いったいいかなる秘密の(愛着の、友情の、愛の)絆が、いかなる感性の倍音が、いかなる形而上学的馴れ合いと言ったようなものが、あなたと猫のムールーとを結びつけていたのでしょうか? ……
グルニエ:……動物は文明が人間から切り離そうとしている自然に 人間を結び直してくれます。それは名をもたぬ世界と私たちとの間の仲介者なのです。しかしその方法はたいそう多様です。
猫は一見たいそう なつきやすいように見えますが 実際には私たちから遠いところにいます。私は猫のうちに、ある崇高な存在が、ある非人間的な崇高な存在が形をかえて偏在していることを認めたのです。
私は人間としての自分の特質に対する避難所として その存在を呼び出していましたし、そのとき意識して苦しむという自分の条件を忘れることができました。……
  (ちょっと編集してます)

またグルニエは、「私のこれまでの進展は 猫に対する崇拝から犬に対するへの友情へと移行することから成り立っている」ということも言っている。

でも、もし飼うなら、犬もいいけど、やっぱり猫だ。

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