[孤島]
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
『ホワイト・オランダー』
監督:ピーター・コズミンスキー/原作:ジャネット・フィッチ/出演:アリソン・ローマン、ミシル・ファイファー、レニー・ゼルウィガー、ロビン・ライト・ペン
ストーリーは下記URLを参照してください。ここでは主に感想だけ。
http://www.gaga.ne.jp/white-oleander/introduction/
http://www.gaga.ne.jp/white-oleander/story/

タイトルのホワイト・オランダーは白い夾竹桃のことで、毒性をもつという。このことはネットをいろいろと見てて分かったのだけど、夾竹桃が毒を持つという話は映画の中で出てきたかな?(見落とし?)
ということでこの映画は、母親から毒を盛られた娘が、なんとか解毒して、ついに復讐を遂げるという物語……ではありません。でももしかしたら、そのような話かもしれません。(どっちなんだ?)

母親のイングリッドはアートの作家で、つねにパーフェクト(完璧)を追求してる。同様に娘のアストリッドにたいしても、やはりパーフェクトであることを求めている。イングリッドにとってこのパーフェクトというのは、無類の強さやコンピティティブ(競争力)や自立や優越性といったものの体現した言葉なのだろう。
イングリッドが殺人で刑務所に入ってからも、ますますこのことはプッシュされる。
たとえばアストリッドのボーイフレンド(ポール)の描いたコミックを、こんなの芸術じゃないとこき下ろす。
あるいは、人やコミュニティや信仰などに依存する生き方が大嫌い。なので、スターのところで受けた洗礼なんてもってのほか。クレアのような自立できない依存的な者も嫌いで、娘がそんなところにいてはマズいと、何事かマニピュレート(manipulate)をやる。

これほど極端な母親は、たぶんあまり多くないような気がする。(*) それは、これほどに独善的な母親はそういないということで、概して親(とくに母親)は子どもに対して「干渉」を行い、ときには「操作」や「マニピュレート」といったことをやる。
子どもが危険なことに巻き込まれるのは避けなければならないが、例えば誰それさんと遊んだらダメで、あの子と遊ぶのはOKとか、そういうのは干渉というより操作だ。親の言うことは、たとえそれが親のエゴだろうが、良かれと思ってやったことだろうが、子どもには絶対的な影響を与える。(**)

イングリッドが直接アストリッドに言うのではなく、クレアに伝えた言葉こそマニピュレートだ。それはクレアの自殺にもつながり、怒ったアストリッドはもう母親の面会には来ないという。
イングリッドはアストリッドが自立することを主張していても、刑務所にいても娘を自分のコントロール下におこうとしてた。子どもにとって自立できるというのは、(母)親から自立できるということだから、それは矛盾だ。そしてストリッドは賢いので、母親から離れた。

最初のシーンでのアストリッド(娘)のモノローグは、母親にたいする思いを述べたもので、それがラストシーンでどういうことなのか判った。
最後はアストリッドが(複数の)カバンに想い出の品々でアートをつくっているシーン。箱を使ったアートというのはよくあり、それはオープンなものだけど、カバンは開閉ができる。そしてカバンを次々と閉じていったラストシーンは、母親との思い出を封印したものだったのではないだろうか。

 * 完璧を娘に強いる母親は、(とくに日本では)あまり多くないような気がする。最近TV番組で見た例としては、ピアニストのフジコ・ヘミングとスパルタ・レッスンをやった母親との関係かな。あれも成功したから良かったけど、そうでなかったら大変……。

** 一般に(男の子の場合)反抗期がくると、少しずつ親の操作の手から逃れる。いつまでも母親の操作の手から逃れられないのがマザコンになる、たぶん。
でも親から取り込んだ価値観は、しばらくは持続する。どこの家庭でも勉強しろというのは同じと思うけど、私の母親は、ちょっとエリート主義のにおいがしてた。それで私の場合も昔は、今とはぜんぜん違う、ゴリゴリの学歴主義者だったことがある。恥ずかしぃ~。
まあ そんなこともあったという昔話。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。